校歌制定について
校歌は申すまでもなく学校の校風を表象し、学校の教育方針と共に若き学徒の理想と抱負を歌ったもので、学校としては校章と共にその学校の特色を表明するものであってこれを歌うことにより自然と生徒の理想が養われると云っても過言ではない。 本校が新制高等学校として発足してから、是非立派な校歌を作りたいと念願し、色々苦心のはて、私の恩師であり私が日夜敬慕し、和歌と漢詩で全国に雄名を馳せて居られる国学者、田中常憲先生に御願い申し上げた処、御快諾下され、数ヶ月間御研究の上、十数校の校歌を作ったが、これが一番自分の快心の作であるから、どうか自分の孫たちに歌って貰いたいと申されて送って下さった。まことに現在躍進の途上にある本校に適した、申分ない歌詞であるので、早速匿れたる作曲の大家、吉岡先生に作曲を御願いして、あの勇壮で優雅な曲が完成された次第である。 茲に更めて両先生の御厚情に衷心より感謝すると共に、諸君は歌詞の意義を充分諒解して諸君の理想を、諸君の抱負を、声高らかに歌って本校の発展に一層の拍車をかけて戴く事を心から念願する。
田川東高等学校文芸誌「青竜」3号より |
校歌の移り変わり
田川実業女学校校友会歌
(田川高等実業女学校)
1 炭の都のかたはとり
風治の宮の杜近
甍光りてそびゆるは
これぞ我等の母校なる
2 高くそばだっ香春嶽
不動の容仰ぎつつ
学にいそしむ我が友よ
いざ諸共に進みなん
3 清く流るゝ彦川の
自然の調耳にして
土にいそしむ我が友よ
いざ諸共にはげまなん
~昭和7年
田川高等実業女学校校歌
作詞 寺西英冨
作曲 宇野伊都子
1 香春の岳のあけぼのゝ
霊しき光につつまれて
勤労をはげみ明朗に
伸び育つなり身も心
2 風治の宮居太しくも
高きみいづに導かれ
従順と礼儀培ひて
伸び育つなり身も心
3 流れはつきぬ彦川の
さざれ石打つ水の音に
清潔節約信用もて
伸び育つなり身も心
昭和8年
田川東校棟女学校校歌
1 神の啓示の栄うけて
風治の宮の杜近く
甍登光りてそびゆるは
これぞ我等が母校なる
2 高くそばだつ香春岳
不動の姿仰ぎつゝ
学にいそしむ吾が友よ
いざもろともに進まなん
3 清く流るる彦川の
自然の調べ耳にして
土にしたしむ吾が友よ
いざもろともにはげまなん
昭和9年~昭和23年
東鷹高等学校校歌
(田川東高等学校校歌)
作詞 田中常憲
作曲 吉岡一之
1 筑紫の東北山高く
北に福智の紫孱顔
南に英彦峨々として
白雲常に靉びけり
高遠の理想帆にあげて
学海遠く船出せむ
2 真理の燈火赫々と
正義の綱手握り持ち
狂瀾怒濤乗り越えむ
学徒吾等に力あり
人格の完成目ざしつつ
花やぐ青春謳歌せむ
3 鎮西が原春ふかく
繚乱花は臭へども
昔の歴史いまいずこ
自由平和の旗のもと
勝利の凱歌謳いつつ
悠々彼岸に船泊てむ
作者のことば
学海を船出することをうたったものである。「高き理想」と云うことが、学校第一の信条であらねばならぬ。
イ「筑紫の東北」田川市は筑紫の東北にあたります。
ロ「紫孱顔」とは、山紫に峻しいこと。
(二)は、具体的理想をうたったもので校是即ち「真理」「正義」「人格の完成」等、
須要な徳目をかかげたものである。その他の徳目に至っては普通平凡なものだか
らとるに足らぬ。末尾の「花やく青春謳歌せむ」の一句は青春学徒のもっとも大
切な一要素である。
(その他の徳目は1、3にかかげてある。)
(三)は、結びであって、前三句に鎮西八郎為朝の歴史をうたってある。
「昔の歴史いまいずこ」と云う一句には今はかかる戦争的歴史は消えてなくなっ
ているけれどもと云う意味を宿し・‥。今は「自由平和の旗のもと」に、人生勝
利の凱歌をあげて悠々と彼岸に着こう。「泊てむ」とは着船の意味、港入りの意
味。
最後に「たのしたのし吾等はたのし」とあるのは(一)にも(二)にも(三)に
も各節毎に加うるか、又は三節の終わりの一ヶ所だけおくか、又は全部抹殺する
か、それはご自由に任せる。
曲譜はなるべく雄健に青年学徒の気に適するよう願う。
ふりがなつけてある漢字は必ずその通り改めざること。
歌詞は歴史的仮名使いを用いておるが新仮名使いに従うもよろしい。
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