本校は大正12年(1923年)3月に香春町の田川郡立田川農学校(大正7年設立)を改組し、男女共 学制の田川郡立鷹羽学館(男子は3年制乙種農学校、女子は2年制技芸女学校)を創設して始まり ます。大正14年(1925年)に伊田町(田川市番田)の新校舎に移転、同15年男子部を県立田川農 林学校、(現在の田川農林高校)に移し昭和3年(1928年)の最後の卒業生を以て廃止、女子部は県 立に移管、4年制の福岡県田川実業女学校として発足、以来、福岡県田川高等実業女学校、福岡 県田川東高等女学校、戦後の学制改革で福岡県立田川東高等学校と校名を変えながら、70有余年 め歳月を重ね、今日の福岡県立東鷹高等学校へと歴史が継承されています。校章もまた、この歴 史の中で幾多の変遷を経ています。 (1)旧校章について 創立当初の鷹羽学館に校章があったかは明らかではありませんが、田川実業女学校の校章は、 中心から同心円状に実の旧字体の「實」、「田」、「川」がデザインされています。 田川高等実業女学校になって、円の上半分に「実」を、下半分に「田川」をデザインした校章 に変えられています。 さらに、念願であった高等女学校に改組、田川東高等女学校が発足して校章は、当時の美術の 梶原千秋先生により、中世以来「田川」の地名としてしばしば用いられる「鷹羽」に因んだ3 枚の「鷹の羽」と女学校の「女」をデザインしたものになりました。 (2)現在の校章について 戦後、学制が改革され、福岡県立田川東高等学校が発足、昭和24年4月最初の男子生徒が入学 、新校章についての検討が始まりました。当初、女学校の校章の3枚の「鷹の羽」の中央の「 女」を「髙」に変える案もありましたが、当時の白石京太郎校長の「男子生徒への思いも入れ た新制高校にふさわしい校章にしたい」という方針に基づき、在校生からデザインを募集しま した。当時の美術の青木比呂先生を中心に3~4点の作品を選び、先生方に意見を求め、修正 を加え、現在の校章が作られました。 「風格鋭く勇猛果敢に大空を飛翔する鷹」をデザインし高等学校の「高」の字も旧字体の方が 趣があるということで「髙」が用いられています。途中旧字体が当用漢字にないことから新字 体の「高」に変え、デザインを若干変更した時期もありましたが、現在は当時のものを校章と しています。校名が「東鷹」に変わり、「校章」との一体感はより一層強いものになりました。 (3)校旗について 田川東高等学校の校旗は校歌制定(昭和28年)に伴う気運に生じ、制作されましたが、校章に ついて旧字体の「髙」を当用漢字の「高」に改めると共にデザインの全体をやゝ優しいイメー ジに改めました。しかし、学校全面移転、校名を東鷹高等学校に改称するにあたり、学校の歴 史を正しく継承する意味で制定当初(昭和25年)の校章を用い、新校旗を制作いたしました。 |
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福岡県立田川東高等女学校 校旗 | 福岡県立田川東高等学校 校旗 |
福岡県立東鷹高等学校 校旗 |
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田川実業女学校 |
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田川東高等女学校 |
田川東 東鷹 |